国立天文台
2018年11月13日
国立天文台
日本の天文学の中核を担う研究機関です。天体観測のため広大な緑地を確保していて、さらに国分寺崖線緑地保全地域からずっと連続しています。
研究員の中桐正夫さんのお話
・国立天文台の官舎でもかなり最近まで井戸を掘って、井戸水で敷地内にある50軒くらいの水を賄っていた。
・今でこそ「武蔵野の面影を残した森が広がる」などと言われるが、ここに天文台が来た時は一面の畑のなかにぽこっとドームがあるような風景だった。当時プラタナス、サクラ、ポプラ並木なども整備された様子があるが、観測のじゃまになるので切ってしまうなど、敷地内の整備はおざなりで、いまある森は、鳥が運んできた種などから自然に生えてきたもの。
・中桐さんは昭和41年に働き始めた。その頃は周りの農家が敷地内に耕作に入っていた。農地を買い上げられた人が耕作していたようだ。
・国分寺崖線のそばにあるアインシュタイン塔は分光器を使うのだが、分光器は温度変化を嫌うため地下室に置いた。その地下室にははけの崖地から土管を通して通風口を作り、野川からの冷気を取り込む自然の空調システムになってる。その土管をタヌキが通り道としてつかっている。アインシュタイン塔の望遠鏡は使わなくなって50年たつが、いまでもタヌキはいる。
・コジュケイ、キジ、オナガなどの野鳥もいたが、野良犬、野良ネコが多いので食べられたりしている。野良犬は保健所によっていなくなったが、いまでも野良猫は多い。ハクビシンやアライグマがいるという人がいるが、自分は見たことはない。ハクビシンは死骸がみつかったことはある。
・研究棟などを建築する際に発掘調査を何度かしている。天文台構内古墳は昭和45~46年と平成16~21にかけて調査をした結果、7世紀後半のもので全国的にも稀な上円下方墳と呼ばれる特異な形と判明し、平成17年度に国史跡に指定された府中市の武蔵府中熊野神社古墳につぐ4例目となった。
・その他石器時代~縄文時代、石器時代の鏃などはいっぱい出てきたようだ。
・中桐さん自身、20年前は48軒あった官舎の一つに、家族と住んでいた。うめ、柿、栗、びわなどの木を植えてそれを子供たちがとって食べていた。タケノコ、ツクシ、ヨモギなども採れた。夏にはカブトムシをとったり、池をつくって亀を飼ったりした。現在でも天文台の職員で野鳥観察などをやっている。大正期の1号官舎を星と森と絵本の家に整備する事業にも携わる。
・バス通りの向こう側は大沢という土地で深い谷があって、ワサビ田があった。大沢台小学校のところは深い谷だった。それを昭和40年代に埋め立てた、天文台裏門のすぐ向こうのみのわさんというお宅は軒下まで水に埋まった。長久寺も谷にあったが曳家で今の場所に移動した。谷があるから曳家をするのに石臼などで埋め立てたらしい。
・国立天文台構内には、現役を退いた望遠鏡や観測塔が多数あり、復元整備やアーカイブすることによって、研究遺産として大切にのこしていきたい。→日経サイエンス「日本天文遺産」という連載をしている。現在19回。
・三鷹ネットワーク大学と、天文情報センター普及室・縣秀彦教授が担当し、協働で太陽系ウォークなどのイベントも開催している。
自然科学研究機構国立天文台情報センター特別客員研究員
担当:土肥、鈴木