武蔵野はらっぱ祭り:藤記豊士さん

武蔵野はらっぱ祭りは「都内では貴重なはらっぱで集い、多様な表現を尊重し、地域と協同しみんなでつくりあげる」お祭りで、1987年から行われてきました。
そんなはらっぱ祭りの立ち上げから関わってきた藤記さんに、お話をうかがいました。

場所ははらっぱ祭りとも縁が深い、国分寺の「ほんやら洞」。藤記さんはインタビュー始まりからけっこうなペースで日本酒を飲んでいます。顔がやや火照ってきてはいるものの言葉や足元もはっきりしていて、「ここで酔ったことないから大丈夫。ラビさん(ほんやら洞オーナーではらっぱ祭り常連だったミュージシャン)に聞いてごらん」と余裕の様子です。

学生運動とはらっぱ祭り

武蔵野はらっぱ祭りには、その前身とでもいうべきイベントがあった。「国分寺deアンデパンダン」、通称「アンパン」。国分寺のけやき公園で行われたんだ。アンデパンダンは、無審査・無賞・自由出品を原則とする美術展のことだが、政治的な集会やデモの閉鎖性に辟易してた僕は飛びついた。

その頃アンデパンダンが全国的にあって、内容はアートや演劇、音楽といろいろ。僕は「アンパン」ではサンヤ(山谷)の映像を持ってきて流したりした。山谷で炊き出しとかの支援活動をしてたから。年末年始なんかだと、酔っぱらって寝ると死んじゃうから「人民パトロール」っていって見回りをしたりね。

国分寺周辺は大学が多かったせいかどうか、若者が集まってきてた。まだ鉄道学園もあったし。ロック喫茶「ほら貝」はヒッピーの拠点なんて言われたりした。学生運動をしていた、マルクス主義を掲げる労働者の党派にいた学芸大の人と知り合い、そこに飲みに行ったりね。それもあって学芸大や国分寺にしょっちゅう遊びに行ってたね。

僕の出身は新宿高校で、坂本龍一が1年先輩だったんだ。学年で400人ぐらいいて、だから学校全体で1000人ちょっとだけど、僕らの頃でも反安保で立ち上がったのが200人以上いたかな。そんな時代でもあって。
受験校で東大に向けた特別考査というのがあって、東大にばんばん放り込んでてね。それを廃止しろとか学校に要求して音頭をとったのが、坂本龍一や塩崎恭久。6項目要求というのを作った。高校全共闘を名乗っていたのが僕ら後輩。

「アンパン」では、ダメと言われていたけどアンプも使っちゃって、警官は来るわ地元の苦情も来るわ。僕が苦情処理係をやったんだけど、めちゃくちゃ大変だったよ。
けやき公園は二度と使わせないと国分寺市から言われた。まあできなくなるのは当たり前。ただ祭りが面白いという人もいた。

その一人が「トメ」。はらっぱ祭りのいいだしっぺ。でも彼は途中でやめてしまったが…彼に誘われ、またやりたいなと思って場所を探してたら、小金井に「わんぱく夏祭り」や「回帰船共同保育所」の知り合いがいたので、その関係からつながりができた。あそこ(くじら山下はらっぱ)ならできるんじゃないかってなって。でも場所を使うための相談をしに公園に行ったら断れられて、必要なのは公的なお墨付きだと言われて、公園周辺の町内会の承諾書などを取って歩いたよ。

はらっぱ祭りも最初は当然あまり人がこなかった。出演も有名なのは西岡恭蔵さんくらいかな。3回目か4回目から規模が多くなった。ラビさん、高田渡さんが何年か。最近では中川五郎さん。出演は、たとえば高田渡さんが来てたら、じゃあやってもらおうかなみたいなノリもあったな。

祭りの出店料を売り上げの何パーセントとかってしているところもあるけど、僕らは遊ぶためにやってるから、儲けどうこうじゃない。今の経済のシステムじゃないもの、僕らが何かの価値を置きたいものとして祭りをやっていたから。
それと、常に新しいもの、今を越えるもの、求めること、試行錯誤が好き。停滞がきらい。同じことでも問いかけながらやれるなら最高。

現代いろは歌

(話は、いつのまにか今までとまったく違うジャンルに飛びます)

今日ははけの学校のインタビューってことで「はけのいろは歌」を作ったよ。15分くらいでできた。

(現代いろは歌というのは、46音を重複なくすべて使って、意味の通る歌にするという言葉あそび)

「はけのいろは歌」
たまにあそび  (多摩に遊び)
もえゆくところ (萌えゆくところ)
ふぜいつらね  (風情連ね)
めをやすむ   (目を休む)
わきぬる    (湧きぬる)
ながれへおりて (流れへ下りて)
さんぽしよう  (散歩しよう)
はけのみち   (はけの道)

現代いろは歌は3,000以上作ったね。年号覚えの語呂合わせも数千作ってる。すべては遊び。
作るのは最初は何日もかかったけど、最近は数分~長くても30分でできちゃう。ことわざをいろは歌で作るっていうのもやってる。カクヨム(WEBサイト)にも出して。

いろんないろは歌を作っている人はいて、ネットで知り合った人とここ(ほんやら洞)で会ったりもした。むこうから会おうということでね。3つくらい年上の人。で、よく聞くと活動家だったりして。

いろは歌は、ことばを嵌めるのは簡単だけど、意味が通じて、さらに作る意義があるというようなものは難しい。

お酒

(インタビューの終わりにはすでに10杯以上日本酒を空けている藤記さん。さすがにややふらふらした感がありますが、話に支障はありません。かなり強いです)
――お酒が好きだからお祭りが好きになったというのはあるんですか?

あるだろうね。「国分寺deアンデパンダン」で日本酒を売ってたんだけど、1合150円というほぼ原価で。というのも、僕がやりたかったことのひとつが日本酒を紹介することだったから。その旨さをね。もちろんアンデパンダンもだけど。

2021年1月26日、国分寺・ほんやら洞にて
担当:野口、横田