くじら山

2018年8月26日

くじら山

東京にもこれだけ広々とした場所が!?と誰もが驚く「はらっぱ」は、国分寺崖線・野川・武蔵野公園に囲まれた空間です。くじら山はその原っぱの脇に、小学校敷地の造成時の残土を盛ったことで誕生した山(丘)です。その形から「くじら山」と呼ばるようになった、この一帯のシンボル的な存在です。

エコロジカル野川(活動団体)・若竹稜子さんのお話

ハケがわたしの産土で、ハケがわたしを育ててくれました。父母が新居として求めたのがハケのここ。そしてわたしたち兄弟が生まれました。

89年からエコロジカル野川実行委員会の委員長をやったり。高校生のときから、わんぱく夏まつりとか、原っぱが日常でした。

野口さんにはその頃よく取材されました。 「くじら山」が、わたしたちの原っぱ運動の活動のシンボルですが、この山は、母校(南小)の校舎建設の時に出た土の山で、原っぱを海に例えるとなんだかクジラみたいってことで。クジラが汐をふく絵といっしょにみんなに愛されて、和菓子やさんのデザインにもなって活動を盛りたててくれました。

原っぱの運動は、第三調節池計画ストップまで、6年~8年くらいの関わりだったと思います。

こうしてふりかえると、ハケはわたしにとって自然そのもの。で、そこに杭が打たれることにナゼ?の疑問が発生して、それはわたしだけではありませんでした。みんなの疑問は専門家たちにとってもそうでした。

そうした活動から市議になりました。初当選は93年3月です。 今は英国在住ですが、やっぱり、この、わんぱく夏まつりには来る。子どもたちも一緒に。ふるさとです。

エコロジカル野川がなかったら今頃くじら山下原っぱはなかっただろうな。あの時期の水郷水都全国会議を含む水辺と市民の運動がなかったら、河川法改正もなかった。時代の一つのうねり、というのかな。反対って声を上げるのではなくて、どうして?って、みんながそれぞれできることで調べました。やっぱり身近な川が汚れていくのは誰でもイヤだし、きれいな流れはうれしい。

モニタリングって続けると実証になる。それは専門家の論が後ろ盾になったり、その手ごたえ。守るってそういうことだとおもいます。

野川の三面張り工事が止まって、護岸に緑の土手が復原したときは、万歳! わんぱく夏祭りや、秋のはらっぱ祭りは、40年以上もつづいている市民の実行委員会方式のお祭りで自前。世代がつながっています。

オックスフォード大学職員/当時の活動団体:エコロジカル野川
担当:野口、鈴木

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