三楽の森
2019年1月31日
三楽の森
NECの創立者でもある前田武四郎の別荘・三楽荘があった場所を、小金井市が借り受けて保全する公共緑地です。武蔵野の面影を色濃く残した豊かな自然が残されており、貴重な植物も見ることができます。
G.Mさん、T.Mさんのお話
・Gさん:このあたりは地盤がしっかりしています。そのかわり水が貯められないので米がとれません。水が豊か、水に関わった土地が多いという印象があります。
・曾祖父が、大正年間に別荘としてこの家を建てました。当時は何もなかったようです。文献を読むと、坂に面した所に家を建てるのはステータスシンボルだったので、それで祖先は裕福だったのかなと思います、今は見る影もないですが(笑)。非常に風光明媚な土地だと感じています。日比谷公園を設計した造園の方が配置をしたそうです。
・貫井遺跡の上なので遺跡は多く、雨が降ると土器のかけらがたくさん出ました。2万年前から人が住んでいたのは、火山以外の自然災害がなく、水害などなく地震が起きても大丈夫という印象です。
・子どもの頃は自然を使って遊びました。わき水でヤゴをとったり、ヘビやトカゲをつかまえたり。坂を自転車で駆け降りる度胸試しをしたり。
・Tさん:お父さんは大雨が降るといつも、野川とプールを見に行っていました。
・貫井遺跡は、四小の子供たちもいっしょに掘ってもらいました。
・Gさん:元市長の大久保さんと北町の岩佐ケイキチさんが同級生だったんです。神社の脇に水車があったんですって、90年前は。二人が元気なうちに四小の子供たちに、その思い出話をやろうねって言っててできずに亡くなられて残念でした。
・夏にプラスチックの池を作ると、毎年春くらい、貫井神社から同じカメが上がってきました。秋になると帰って行きました。
・「何もない」は貴重です。散歩する力、寄り道する力(能動的に何かを見つけようとする力)みたいなものが小金井では鍛えられます。
・今だにうちはよそ者なんです。良くも悪くも年季の入ったよそ者。
・弁天様を中心にしてなんとなくみんなが集まってっていう。新旧のブリッジになりました。これを新しく来た人がやると衝突しますが。
担当:野口、井上、横田