国分寺崖線@大沢

2019年2月8日(金)くもり

参加者:6名

今回は一般社団法人武蔵野コッツウォルズの鈴木俊彦さんをガイドにお招きして、三鷹市大沢付近の国分寺崖線をリサーチしました。

武蔵野コッツウォルズは、東京郊外の武蔵野地域が英国ロンドン郊外の人気観光スポット「コッツウォルズ」にも共通する自然豊かな場所と考え、散策やジョギング・サイクリングなどでこの地域をたくさんの人が楽しめるよう推進する活動をされています。

1:野川公園一之橋上りバス停集合~野川公園一之橋北口

現在、東八道路(道幅30メートル)は歩道と自転車レーンの整備工事中で、2020年東京オリンピックでは自転車競技の開催地となるそうです。

2:東八街道富士見大橋下のトンネル

東八道路と旧道の人見街道交差地点は富士見橋という名前のとおり、富士山がよく見えます。このあたりの崖線は富士山の方角である西に向いているためでもあります。橋下はトンネル道となっていて野川沿いを歩く場合はそこを通ります。

野川公園東側の野川と国分寺崖線

3:人見街道に架かる御狩野橋と相曽浦橋

御狩野橋は傾斜が急なので、緩やかに下る相曽浦橋が地元の人たちによって作られたそう。自動車で荷物を運搬する前の時代の人々の工夫が感じられます。

4:大沢の里古民家の裏山にあたる国分寺崖線~出山横穴墓群8号墓(横穴墓と戦時中の防空壕)

崖線を利用し、古墳時代後半期(7世紀)に横穴状に掘られた墓の遺跡と、日中戦争中に軍用や個人用に掘られた大規模な防空壕の跡もあります。近くの龍源寺の新撰組隊長・近藤勇の墓の向かいに、この「横穴古墳供養碑」と、防空壕で発見された人骨を供養した「穴佛」もあり、それぞれの時代に人々が崖に横穴を掘って利用してきたということがわかります。

また、大沢の古民家には崖線からの湧き水を利用したわさび田もあります。 

大沢の古民家裏。国分寺崖線に登る小径
大沢の古民家付近の田んぼと国分寺崖線

5:飛橋~ハケ上へ階段の歩道橋(通称:七中階段・100階段)~富士見テラス~

野川の飛橋と野水橋の中間付近の崖線には国立天文台の裏手に出る階段があります。この長い階段を上ると富士山や丹沢山系などが見張らせる崖上沿いの道に出ることができます。この遠景と国立天文台の森や竹林を眺めての散策はとても気持ちのいいものです。また、このあたりの地層が武蔵野礫層の模式地とされています。

通称:七中階段・100階段
国立天文台裏の小径から見た景色。この日は曇っていたので富士山は見えず。

6:工事中の野川大沢調節池

集中豪雨や台風などによる野川の増水による被害の対策として、大沢の野球場とサッカー場の地下を約3メートル掘り下げ、貯留量を拡大する工事をしていました。なんの層かはわかりませんが、立川面の土の層を見ることができました。

工事中の野川大沢調節池

7:調布飛行場展望台

東京都港湾局が運営する飛行場で、調布と大島・新島・神津島・三宅島などの島を結ぶ定期便の発着が行われています。日中戦争中、日本陸軍により使用され、戦後はアメリカ軍の占領をへて、1973年日本に全面返還されました。ここの展望台からは、セスナ機の離着陸や武蔵野の森公園の散策路や味の元スタジアムなども遠望できます。

調布飛行場前の公園と管制塔。公園にはプロペラ機の形をした遊具もあります。
ターミナルビル展望デッキからの眺め

8:武蔵野の森公園~掩体壕大沢1号2号(えんたいごう)

日中戦争中に陸軍調布飛行場に建設された航空機を格納する設備。少ない資材で大きな強度が得られるかまぼこ型をしています。史跡として保存されており、掩体壕大沢1号のそばには格納された「飛燕」の10分の1模型が展示されています。

掩体壕大沢1号。荒いコンクリートでかまぼこ型に作られている

【まとめ】

三鷹市エリアの崖線は他のエリアとは状況が大きく異なることが理解できました。

崖上には国際基督教大学キャンパス、国立天文台の一大施設があり、崖下には調布飛行場があります。これらは大正、昭和、平成の各歴史上に大きな役割を担っていた場所の上に立っています。

国木田独歩の『武蔵野』が発刊されたのは1898年、およそ100年前。そこには人々が植林などによって作り上げた雑木林の美しさが描かれていました。その後、隣接の多磨霊園開園を皮切りに、国立天文台が麻布から移転、陸軍調布飛行場、中島飛行機研究所など国の政策による施設が建設され昭和の歴史がつくられていきます。戦後それらの施設は米軍用地へ接収され関東村ができ、そして日本への返還が行われたのちに調布飛行場や警察学校、東京外国語大学、国際基督教大学、都立神代植物公園などに変わっていきました。三鷹調布周辺は、近現代史における歴史上の一大施設エリアだったことで国分寺崖線の環境が連続して残されているのです。