「崖ハカセ」芳賀ひらくさん

「崖ハカセ」芳賀ひらくさん

地図にまつわる多数の著作をもち、とりわけ崖に詳しい「崖博士」、芳賀ひらくさんにお話をうかがいました。

・国分寺崖線で一番いい場所のひとつは新次郎池の上。地形として勉強になる。記念館がある。以前早実の土地と地続きだった。寮、宿舎があった。空襲で赤坂のが焼けたので戦後こっちに来る。大倉財閥のだから。水はどうしてたかというと、国分寺市の昭和35年だから水がない。120m堀った。今でもその水を使ってる。そのせいで今水が少ない。深層地下水は表層に影響する。

・新小金井付近に砕石工場があった。大きいのは砕かないといけない。(し尿を)埋めたところに住宅が建った。
→そういう話はよくありますよね。墨田区は土を掘るととおがくずが出てくる。(ど)

・鉄道っていうのも道の一種です。二枚橋付近は4つの境界線がある。

・崖にヘビはつきもの。

・同じ名前の二枚橋っていう橋が川崎市にある。そこまでこの道がつながる。中世に、川崎のは弁慶と義経の伝説が、ここは悲恋伝説があります。貧乏人の娘と金持ちの息子。伝説はつねに作られる。いくら貧乏でも娘を殺すなんてありえない。被差別部落で死んだ馬を解体処理する。府中大國魂神社の東。そこに通報にいった人も差別された家柄の人。そういう非人はなにをやっていたかというと、多分ヤマバン、ハシバンをやっていた。そういう家系が江戸時代以前からずっと続いていた。貧乏と金持ちというのはそれを示唆しているのではないか。そういうことを市史としてはいいたくない。伝説というのはそういう、何かいいたかったというもの。馬をここで焼いたというのはそんなことはない。薪代がとんでもない。馬はひづめまでぜんぶ使える。

・学生に、鞍尾根橋で右と左を見て、どっちが自然が残っているかと聞く。だいたい小金井側。でもこっちは金かかってるんだよって。都心でも子供たちを遊ばせる公園があるけど水の質が違う。向こうは水道水、こっちは湧水。

・自然の植生として考えると、照葉樹林で、東京は3つにわかれる。このへんはシラカシ。シラカシの原生林があった、いつの時代かというと5000年くらい前。昼間は暗いので縄文人はそれでは困るので切った。焼き払う。野焼きを毎年やっていた。そのあとで江戸時代になってからクヌギとかコナラとか。

→そうすると「武蔵野」に書いてある情景は、本当の昔の原野ではないけれど、新しい、文学者がそこに風景を発見した、里山の風景をとみていいですよね(ど)

・それまでの風景は、風景としては存在していなくて、歌枕とかいわゆる名所としてしか存在していなかった。そういうのを一変させたというのはありますよね。手を加えていないと思われる景色がいいんだろうと。武蔵野という言葉自体は根拠がある言葉ではなく、景観用語。地形とかとは関係がないんです。国木田独歩の武蔵野は、とんでもないところまで武蔵野に入れてる。ただ大岡昇平はおどろくほど正確。はけの植生はシラカシとケヤキだとちゃんと書いてる。

栗が水にも強くて。

→おじさんが昭和20年ごろに小金井に住んでて、栗林ばかりと言っていた(ど)
→栗山通りっていう通りもある。昔栗山だったところがキウイ畑になっていた。キウイの方がお金になるのだろう。
→生産緑地って金稼げてないといけない(ど)
→栗は献上もしてた。東小金井も「マロンホール」という名前(の)

・なんでわざわざ崖の上に住居を作るのかと思ってた、水あげるのも大変じゃないですか。たぶん流されちゃうんじゃないかと。それで残らないってのも。
縄文人は洪水がこわいから下に作らないっていう人もいるけど、そうじゃない。国分寺だと元町っていうのは崖の下。だけど大変なのは崖下は湿気が多い。洗濯物が乾かない。

・坂の途中には魔物がいる。それを中和というかよけるためにああいうのをたてる。摩崖仏(まがいぶつ)って、大分県にありますね。岩の崖に仏さまを掘る。日本だけじゃなく中国にもインドにもある。

・武蔵野台地の定義は、関東平野から旧武蔵の国の部分の低地を除いた部分。平野っていうことで丘陵地はのぞかれる。段丘の上の面を段丘面という。一番下が沖積地なのか一段低い台地なのかわからない。このへんでいうと、ここは武蔵野台地、崖線を下がると立川台地、どちらも台地。立川面から府中崖線を下るとこんどは沖積地、河原になる。

・川は常に氾濫するものだと考えないと地理学は成り立たない。流路は変わるもの、でも変わってもらっちゃ困るから止めたり。
→それをコントロールしようとしているのが近代(ど)
→川の歴史でもう一つ違うのは、水田化される前と後。まあでも景観の変わり方ですごいのは都市化の前後。さっきも言ったように鞍尾根橋で立って、どっちが自然なのと聞くとだいたい緑が多いほうって言うけど、いやそうじゃないんだ、こっちはコンクリでかためられているけどぐにゃぐにゃ曲がってるでしょ、流路のあととしては自然。
あんなに深くなかった。田んぼがあったんだからそのへんをちょろちょろ流れてただけ。なんでこんなに深く掘ったの?住宅地で洪水があるからどんどん下げた。

はけというか崖線で一番、もともとの地形的特徴が残ってるところっていうのは?(ど)
→あ、思い出した、リオンの脇の道。ここ通れるの?っていう道がある。小林理研は海軍系の研究所で、対潜水艦ソナーを作ってた。そのためにワインがいるんだって。ワインの酒セキ酸っていう結晶を使う。
→軍需関係は多い(ど)
→ジャノメの跡地はマンション、あそこは銃器のがあった。機関銃じゃなかったかな。東京経済と早稲田実業のところ、あそこは南部銃。いまもおまわりさんが持ってるのはニューナンブという。

・殿ヶ谷戸庭園は開析谷(かいせきこく)。崖線を切った谷を利用している。児島善三郎のあたりは立派な谷。防災井戸を掘りなさい、手こぎの井戸をっていったら実現した。

2020年10月14日
土肥、野口、横田